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大野城心のふるさと館 Onojo Cocoro-no-furusato-kan City Museum

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大野城市の遺跡 Cエリア

更新日:2023年09月27日

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  • 大野城市遺跡地図_C
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20.原口遺跡
25.御手洗遺跡
27.薬師の森遺跡
29.銀山古墳群
30.原口古墳群
32.雉子ヶ尾遺跡3
33.雉子ヶ尾古墳群
34.雉子ヶ尾遺跡2
35.雉子ヶ尾遺跡
36.此岡古墳群
37.大野城跡 DL_アイコン大野城跡hot_赤
38.山ノ田遺跡
39.深町古墳
40.原田遺跡
41.金山遺跡 DL_アイコン金山遺跡
42.金山古墳
43.金ヶ浦遺跡
44.曲り目遺跡
45.笹原古墳 DL_アイコン笹原古墳
46.窯蓋原遺跡
47.汐井川遺跡
48.中ノ原遺跡
49.窯蓋住居跡
50.四王寺遺跡

薬師の森遺跡(乙金地区)

薬師の森遺跡は大城山から西側にのびる丘陵上に位置し、乙金3丁目一帯に広がる遺跡です。遺跡の名前は、乙金3丁目にあった「薬師の森」という小さな森にちなんで名づけられ、昭和のはじめ頃まで通行人の休憩場所として親しまれていました。
この一帯では縄文時代~平安時代末・鎌倉時代初頭にかけての遺構が発見されており、主な遺構として、落とし穴・竪穴住居・掘立柱建物・須恵器の窯に関連する遺構・木棺墓があります。

縄文時代早期(約8000年前)

遺構の中からは縄文時代早期(約8000年前)の土器の他、石の鏃が出土しており、付近で狩りをしていたと考えられます。写真1は落とし穴の跡で、シカやイノシシなどを狩るための罠と考えられます。長さ1.8m、深さ1.2mほどの深く大きな遺構です。穴の底で直径5cmほどの杭の痕跡が見つかりました。これは穴の中に落ちた獣が、地上に出られなくなるように穴の底に木や竹などを仕掛けた痕跡と考えられます。

薬師の森遺跡_落とし穴
写真1.落とし穴の跡
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古墳時代後期(約1400年前)

写真2は古墳時代後期(約1400年前)の竪穴住居跡です。一部がなくなっていますが、本来は5m四方の正方形であったと考えられます。住居の壁際には竈(かまど)の跡も確認されており、古墳時代に集落が営まれていたと考えられます。

薬師の森遺跡_竈跡
写真2.竪穴住居跡
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奈良時代(約1300年前)

奈良時代(約1300年前)の遺構として須恵器の窯跡に関連する遺構があり、多くの須恵器が出土しています。付近に須恵器の窯跡が存在したと考えられますが、窯本体の遺構は発見されていません。

平安時代末~鎌倉時代初頭頃(約800年前)

写真3は平安時代末から鎌倉時代初頭頃(約800年前)の木棺墓から出土した青磁です。椀が2点・皿が5点あります。椀の内側には花あるいは雲を表現した文様とキノコ状の文様を描いており、皿の内側にはヘラによる文様と櫛状の工具によるジグザグ状の文様を施しています。椀は龍泉窯(りゅうせんよう)系青磁、皿は同案窯系青磁と呼ばれるもので、両方とも12世紀後半頃に中国(当時は宋)の南部で焼かれたものです。当時、青磁や白磁といった陶磁器はすべて海外(主に中国)からの輸入品でした。そのため大変高価で貴重であったと考えられています。

薬師の森遺跡_青磁
写真3.青磁
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写真4は木棺墓から青磁が出土した時の写真です。木棺墓は長さ1.8m、幅0.8mの長方形をしており、鉄釘が出土したことから遺体を木棺におさめて葬られていたことが分かります。青磁は北側で7点まとまって出土していることから、北枕の状態で埋葬されたと想定できます。1つの墓から青磁がたくさん出土することは非常に珍しく、葬られた人の経済力や階層を考える上で手掛かりとなります。しかしながらこの人物がどのような地位にあったのか、青磁の入手経路など詳細は解明されていません。

薬師の森遺跡_木棺墓と青磁
写真4.木棺墓と青磁
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今日までの発掘調査で縄文時代~平安時代末・鎌倉時代初頭に至るまで人々の暮らしが連綿と続いていたことが分かっています。各時代の遺構・遺物は当地域において貴重なものですが、特に木棺墓の発見と青磁の出土は非常に重要な発見といえるでしょう。