日本遺産広域型認定記念「手ぬぐい」をここふるショップで販売中!
更新日:2021年10月25日
令和2年に、日本遺産構成文化財として、大野城跡・水城跡などの大野城市内6つの史跡等が認定を受けました。
これを記念し、市内6つの日本遺産構成文化財をイメージしたイラスト入りのオリジナルグッズ「手ぬぐい」を絶賛販売中です!
心のふるさと館でしか手に入らない貴重な「手ぬぐい」!ここふるショップでチェックしてみてくださいね☆
販売場所
心のふるさと館 1階 ここふるショップ
- 営業時間 午前10時~午後6時(カフェオーダーストップ 午後5時30分)
- 店休日 月曜日(祝日の場合は翌平日)
販売価格
500円(税込み)
日本遺産とは…?
日本遺産(Japan Heritage)は、地域の歴史的魅力や特性を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するものです。
平成27年に太宰府市が認定を受けた「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~」が、令和2年に拡充されました。その範囲は、大野城市、筑紫野市、春日市、那珂川市、宇美町、佐賀県基山町に広がり、計30件の構成文化財でストーリーが構成されています。
市内日本遺産構成文化財
善一田古墳群(ぜんいちだこふんぐん)
善一田古墳群では30基の古墳が発見されました。最も大きく古い古墳は6世紀後半に造られた18号墳で、馬具(ばぐ)や刀の鍔(つば)、矢を入れる道具が出土したことから、埋葬された人は馬に乗り、地域一帯の集団を統率したリーダーだったと考えられています。
御笠の森(みかさのもり)
大野城市に伝わる民話によると、神功皇后(じんぐうこうごう)がこの地を通られた時に被っていた笠が風に飛ばされて森の大きな楠の枝にかかりました。村人が森の神様に舞を奉納すると笠はひらひらと降りてきました。このことから、森は「御笠の森」と名付けられ、近くの川は「御笠川」と呼ばれるようになりました。
牛頸須恵器窯跡出土ヘラ書き須恵器(うしくびすえきかまあとしゅつどへらがきすえき)
古代の人々は年齢や性別、地域に応じた税を国に納めていました。税は租(そ)〔米〕・調(ちょう)〔特産品〕・庸(よう)〔布など〕があり、筑前国の調は須恵器でした。牛頸須恵器窯跡では、大甕(おおがめ)を大神部得身(おおみわべとくしん)ら3人が調として納めることを記したヘラ書き須恵器が出土しています。須恵器工人たちはできあがった大甕を背負って、大宰府や都に届けていました。
牛頸須恵器窯跡(うしくびすえきかまあと)
須恵器はあな窯で1000度以上の高温で焼かれた焼き物です。大野城市の上大利(かみおおり)から牛頸を中心に窯跡が広がっています。6世紀中頃から9世紀中頃までの300年間、操業を続けた九州最大の須恵器生産地です。上園遺跡(かみのそのいせき)では須恵器を成形する時に使う、ロクロを据えた穴が発見されています。
水城跡(みずきあと)
水城跡は西暦664年に造られた古代の防塁(ぼうるい)です。高さ10m幅80mの土の壁が約1.2Km続いています。水城跡の近くには、「父子嶋(ててこじま)」と呼ばれる小高い丘があります。ここには、水城を造る時に運んだ土を父と子が投げ出して丘ができたという伝説が残っています。
大野城跡(おおのじょうあと)
大野城跡は西暦665年に築造された日本で最も古くて大きな山城です。城壁に囲まれた城の中の倉庫には食糧が貯えられ、兵士たちが城門を警備しました。築造からおよそ100年後、仏の力で国を守ろうと四天王像を祀ったことから四王寺山(しおうじやま)と呼ばれるようになりました。
関連リンク
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