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大野城心のふるさと館 Onojo Cocoro-no-furusato-kan City Museum

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館長の部屋(過去記事)

更新日:2021年08月10日

館長の部屋_バナー

2021年 6月 更新分

本日より開館いたします。

 5月12日(水曜日)より6月20日(日曜日)まで臨時休館していましたが、緊急事態措置の解除に伴い、大野城市では市内公共施設の再開を決定しました。当館も本日6月22日(火曜日)より開館しました。久しぶりにお客様をお迎えすることができて、館にも明かりがともりスタッフも笑顔でうれしそうです。とはいえ、やはり多くのお客様においで頂けるには、もう少し時間が必要なようです。夏の特別展も人出や人の流れを抑えるために、冬に延期といたしました。開館三周年記念イベントを含めまして各種の夏休みイベントも縮小の予定です。

 「歴史」・「こども」・「にぎわい」によって、ふるさと大野城への理解を深め、まちのにぎわいを創出するという設立時の理念に立ちかえり、再開館にあたりあらためて市民とともにコロナを乗り越える事業展開を図りたいと思います。

 梅雨入りして久しいのですが、今日は空も青くお日様のひかりもよく届いています。散策やお買い物のついでで結構です。どうぞお立ち寄りください。

令和3年6月
 市民ミュージアム 大野城心のふるさと館長 赤司善彦

 

2021年 4月 更新分

今年度もよろしくお願いします

 今年は3月中旬ごろより一気に春が訪れ、桜も早く開花しましたので、新年度は葉桜で迎えることになりました。緊急事態宣言も先月解除され、世の中は元のように動き始めたようにも見えますが、収束するのはまだまだ先のようです。

 今年度の当館の事業のうちで、柱の一つとなる特別展も感染防止策を講じて開催する予定です。特別展の企画は数年前から動き出すことが一般的ですが、順調に開幕できないことも少なくありません。今月開催予定の特別展「歴史教科書でみる考古名品」もそのひとつです。本来は1年前に開催予定でしたが、感染防止の観点から延期としたものです。ご所蔵機関をはじめとする関係者のご理解であらためて開催の運びとなったことに感謝いたします。今回の特別展では小中学校の教科書に掲載されている作品や資料を集めてみました。写真ではなく実物にふれることで、児童生徒には学習を深めてもらい、歴史の授業が苦手だったという方には、あらためて歴史の魅力を発見して頂けたら幸いです。

 さて、コロナも含めて私たちは将来を確実に見ることはできません。しかし過去は見ることができます。列車の進行方向と逆に座っているようなものです。列車は未来へと進むのですが、見えるのは過ぎ去る車窓の風景です。中学校社会のある教科書に、「私たちが歴史を学ぶのは、知識を豊かにするためだけでなく、歴史に学ぶ必要があるからです」と記されています。

 コロナ禍も、きっといつかは終わるでしょう。これまでの伝染病の歴史がそのことを教えてくれます。なにより、大災害や大恐慌のたびに、協力し、工夫し、困難を乗り越えてきた先人の歴史に学ぶことが、この禍を克服する力になります。なにより、災害を含めてさまざまなリスクを想定して計画を練っていかなければならない時代なのだと実感する次第です。

 当館も大野城市感染拡大予防ガイドラインに沿った感染防止対策を実施しながら、来館者サービスの向上に取り組んで参ります。何卒皆様の暖かいご支援とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。              

令和3年4月_館長の部屋

令和3年4月    
市民ミュージアム 大野城心のふるさと館長 赤司善彦

2021年 正月 更新分

ごあいさつ 

 皆様、あけましておめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

 昨年はやむなく臨時休館を実施し、またたくさんの方が集まることを避けるために、各種のイベントも延期や中止もしくは縮小致しました。市民の皆さんには大変ご迷惑をおかけいたしました。

 今年はこの新型コロナウィルスの感染が終息して、当館も一昨年までの日常の光景が戻ってくることを期待したいと思います。さて、この世界規模での課題の中で、博物館の活動も変化を余儀なくされました。展覧会は外部から借用するおおがかりな特別展は延期もしくは中止をし、市内の文化遺産に焦点を絞った展覧会のみを開催したところです。一方で「おうちミュージアム」や、館職員がいろんな先生となって話をする「ここふる学校」という新しいネット発信の試みを提供することもできました。

 社会の状況が大きく変わっても、博物館は魅力ある展示やイベントの開催を通じて、地域の人々が健全な暮らしを送るために果たすべき役割があります。当館も感染予防対策を講じつつ、今年も新しい試みに挑戦したいと考えています。

 博物館活動の柱である展覧会ですが、今年は4つの特別展を開催する予定です。ここでは最初の展覧会となる特別展「アジアの美にふれる-法隆寺・高句麗・敦煌」を紹介いたします。1月16日(土曜日)より開催いたします。

 近年、国の施策の中で、観光立国推進のために文化財の活用が大きく位置づけられています。文化財に多くの人が親しむ機会をつくることは博物館の使命です。しかし、文化財の中でも土器や石器等を除いて、材質が脆弱なものは展示期間が制限されます。また、移動によりき損の恐れがあるものは、現在地からの移動が制限されています。

 そこで注目されるのが文化財の複製です。複製であれば展示期間や場所に制限がありませんので、多くの方にご観覧していただけることになります。しかし、複製というと、にせものや贋作というイメージが強く敬遠される方もいらっしゃいますが、近年はデジタル技術の飛躍的な向上によって、形状や色彩を計測・分析できるようになり、これに熟練職人の技を組み合わせる方法で従来にはなかった複製をつくることが可能となっています。今回の「国宝・法隆寺釈迦三尊像」もデジタルデータだけでなく、統技術による鋳造と彫刻という職人の経験と感性を相互に補うことで実物と同質のものが複製されています。

 今回、東京藝術大学の複製技術によって、文化財の持つ魅力を存分に引き出せるようになり、同時に手で触る等の複製作品の鑑賞体験も大きく変わる可能性があります。もちろん、クローン文化財として、多くの人の眼に触れることは、実物の文化財の魅力もまた一層広げてくれることになると思います。文化財の持続可能な活用という観点からも、この技術がもたらす未来への可能性に今後も期待したいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

令和3年ごあいさつ_館長の部屋
門松 (大野城心のふるさと館前にて)

令和3年正月

2020年 5月7日 更新分

一歩前へ

  今年も新緑の季節を迎えました。気持ちが沈みがちな世間とは裏腹に、里山は鮮やかな若葉に満ちています。緑色ではなく、レタスのような黄緑色あるいは萌黄色の若葉を目にすると、松尾芭蕉の「若葉ばして御目の雫ぬぐはばや」を思い出します。奈良にある唐招提寺の鑑真坐像を前にして、みずみずしい若葉で目の見えない和尚のかすかな涙を拭いて差し上げたいという内容の俳句です。鑑真は、当時危険だった渡海を幾度となく試み、失明までして来日を果たします。そして日本に仏教を定着させた人です。
 この句の明るく元気な五月の薫風と、人をおもんばかる心遣いに、なんとも心がゆさぶられます。リスクをいとわなかった鑑真さんではありませんが、現在もハイリスクの中で医療や生活基盤維持に携わっていらっしゃる方々に敬意を表したいと思います。

 さて、当館は連休中に出された緊急事態宣言延長を受けて、5月31日(日曜日)まで引き続き閉館いたします。この間、施設利用の休止や展示、イベント等をやむなく中止または延期といたしました。開催を楽しみにしていた皆さまには、急なご案内となり大変申し訳ありませんでした。何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。また、準備の段階から関わってこられた関係者の皆さまにもご迷惑をおかけいたしました。重ねてお詫び申し上げます。

 ところで、この閉館中、館員は在宅ワークではなく館内で三密を避けて仕事をしています。日常的な施設の維持管理やルーティーンワークはもちろんのこと、今後予定されている特別展やイベント等の準備と、今回の休止に伴うアフターフォロー、そして、皆さんのおうちで年の瀬にやる大掃除のような仕事も行っています。例えば清掃スタッフではなく学芸員による展示室等の大掃除と安全点検、そして所蔵品の一斉点検とリスト化があげられます。開館以来じっくりと展示に向き合うことがなかなかできなかったので、あらためて展示品を点検して解説文章などの充実を行っています。併せて常設展示の見直し作業にも着手しました。市内で発掘された全出土品から再度リストアップして、展示資料を頻繁に変える新鮮な展示を目指します。これは今年の秋までには実施したいと考えています。

 また、多くの個人や団体がネットを利用して外部とのつながりを強めています。博物館でも展示の鑑賞動画を配信するところが増えています。当館ではこれまでにSNSでの情報発信にも取り組んできましたが、もっと強めたいと考えています。自宅待機を余儀なくされている子供たちが、おうちで楽しく学べるようにと北海道博物館が提唱した「おうちミュージアム」をホームページ上にオープンしています。ぬりえや工作、ゲームなど楽しむことができます。

おうちミュージアロゴ おうちミュージアムのページはコチラでご覧いただけます。

 さらに、館員から自宅にいる子供たちを応援するいろんなアイデアが出されています。子供たちの将来なりたい職業を手紙で寄せてもらい、その職業に就いた人からお返事を頂く「ここふる・夢・つなげるプロジェクト」や、当館の多岐にわたる仕事をSNSに投稿する「ここふる博物館のお仕事」、館員の専門的な知識や特殊な技能あるいは趣味などを授業形式でコンテンツとして配信する「ここふる学校」などを実施します。コロナ禍で止まることなく、まずは今できることから一歩前に踏み出してみます。
 開館したら思う存分博物館を楽しんでください。館員一同、皆さまが安心して来館していただけるよう、安全な対策をとってお待ちしています。

瓦田地禄神社の楠
写真 大野城心のふるさと館近くの瓦田地禄神社のクス

令和2年5月7日

 

2020年 4月1日 更新分

新年度を迎えて

 カレンダーも早4月に替わり新しい年度を迎えました。当館も開館して2度目の春です。通勤途中に見かけた校庭や公園は桜が満開でした。しかし、あいにくの雨、なにより新型コロナ感染拡大の影響で人影はありません。
 当館も、2月29日より臨時休館を続けています。現在、開館に備えた消毒や換気等の細かい感染予防マニュアルを作成するなどして、お客様に安心安全な環境の中で来館頂けるように準備しています。私たちは、感染拡大に最善の注意を払いながら、家庭で疲弊している子供や親御さんを何とか迎え入れたいと願っています。しかし、当館は博物館施設ですので、風通しの良いオープンな建物構造ではありません。決して密閉された空間ではないのですが、お客様の不安を完全に払拭することは不可能ではないかと思われます。大野城市新型コロナウイルス感染症対策本部での検討を見守りながら、一刻も早くお客様をお迎えできるように、準備を怠らないようにしたいと思います。

 さて、現在4月29日開幕予定の特別展「歴史教科書でみる考古名品」の準備も進めています。小・中学校の社会や歴史の教科書で見たことのある実物資料が当館に集合します。写真ではなく実物にふれることで、児童生徒には学習を深めてもらい、歴史の授業が苦手だったという方には、あらためて歴史の魅力を発見して頂けたら幸いです。
 ところで、なぜ歴史を学ぶのでしょうか。過去のことを勉強するより、今日の課題を克服する術をもっと学ぶべきだという意見も耳にしそうです。たしかに、私も含めた年配の人間にとって、歴史の授業は歴史のできごとを年号とともにひたすら暗記するイメージが強かったからかもしれません。
 過去の歴史が現在につながっていることを知る事や他の世界の歴史とのつながりを読み解くことも歴史を学ぶ意義ですが、私は歴史を学ぶだけでなく、歴史に学ぶことが一番大切な気がします。「温故知新」と言い換えてもいいでしょう。
 未来に向かって進む私たちの位置は、列車に乗って進行方向と反対側の席に座っているようなものです。列車は未来に向かって進んでいますが、車窓の風景は過去の風景だけです。過去を振り返る事でしか、未来は予測できないのではないかと思います。
 現在世界中を不安にさせている新型コロナウイルス禍も、きっといつかは終わるでしょう。有史以前より人間の病気の大きな割合を占めてきた疫病の歴史がそのことを教えてくれます。その経験から、今は極力外出を控え外出の際には、密閉・密集・密接を避けることが大切だそうです。
 疫病へ立ち向かった歴史を知ること。さらには大災害や大恐慌のたびに、協力し、工夫し、困難を乗り越えてきた私たちの父や母、先輩方をはじめとする先人の歴史に学ぶことが、この禍を克服する力になります。また、この未曽有の経験を将来にどのように活かすことができるのか、一緒に考えていきましょう。

2020年 1月23日 更新分

  寒中お見舞い申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
  さて、現在、特別展『発掘された日本列島2019』(主催:文化庁・大野城心のふるさと館・西日本新聞社・全国新聞社事業協議会)を開催中です。今年度4回目の特別展ですが、令和になって初めての年明けを飾る展覧会でもあります。
  この発掘された日本列島展は、1995年度から開催され今年で25年目を迎えます。日本では年間8千件の発掘調査が行われているのですが、その中から特に注目された発掘調査成果を選んで、できるだけ多くの方に、いち早く、そして分かりやすく伝えることを趣旨に文化庁が音頭をとっているのです。今年は東京・岩手・青森・愛知の会場を巡回して、最後に当館での開催となります。したがいまして、西日本で唯一の会場となります。日本の考古学を対象とした展覧会では最もメジャーな展覧会です。大変認知度が高く、考古学ファンが待ち構えている展覧会であります。
  今回、この意義の深い展覧会が当館で開催できましたことは、当館にとって心うれしいことであります。理由の一つは、当館の名称が広く知られる機会となったからです。この発掘された日本列島展のポスターチラシは、全国津々浦々の博物館や関係施設に掲示されているのです。2つ目は、規模の大きな展覧会の開催を経験できたことです。この展覧会は巡回展ですので、展覧会はパッケージ化されています。そのため最初の企画立案や借用交渉、資料の事前調査、そして図録作成、輸送等の多岐にわたる展覧会実務を自分たちのみでやる必要がないのです。今後このような大規模な展覧会を実施するうえで、館員にとっては良い経験になりました。
  さて展覧会は、近年発掘調査で出土した資料を全国から選別したものです。なかには日本で初めて出土したものがあります。通常特別展で陳列する資料は、調査研究が蓄積されて評価が定まっているのですが、これらは類例もなく研究も進んでいません。つまり、調理されない新鮮な状態での展示となります。したがってその性格や意味がよくわからないものがあります。今回の資料にも、通常の数倍の大きさの弥生時代の石包丁(稲穂の摘み具)や武人の顔を表出した古墳時代の円筒埴輪、さらには和歌を土師器杯の内面に刻んだものなどがあります。その用途はよくわかりません。
  一方でこれまで性格が分からなかったものが、今回の出土資料で分かったものもあります。縄文時代に東北地方で出土しているキノコの形をした製品があります。今回、鳥形容器のすぼまった口に差し込んだ状態で出土しています。つまり口に栓をする蓋だったのです。ただしなぜ蓋をキノコ形にしなければならなかったのかはわかりません。
  皆さんもぜひ新発見の考古資料をご覧になって、いろいろと解釈してみてください。

2019年 12月4日 更新分

年の瀬の界隈

まどかの冬物語はじまりました!

 令和元年もあとひと月を残すのみとなりました。  12月1日(日曜日)の夕方には、「大野城ウィンターイルミネーション2019」の点灯式が当館の通りを挟む「まどかぴあ南側広場」で開催されました。実はこの広場を中心にした地域は、大野城市の文化・福祉施設が集まるシビックゾーン(公共広場)なのです。そこで、広場を共有する大野城まどかぴあ×大野城市総合福祉センター×大野城心のふるさと館のコラボにより初めて実現した合同企画なのです。  ところで、点灯式はゴスペルコンサートと子供たちによるイルミネーションの点灯があり、広場は大変賑わいました。あいにくの雨でしたが、ゴスペルの歌に合わせて体を動かしたので、温かくなりとてもいい気分でした。  イルミネーションの光ととともにスポットライトに反射する雨粒が広場をアートのように包み込んでいました。映画「明日に向かって撃て」の主題歌「雨にぬれても」が雨空から聞こえてきそうでした。

広場は広い場所?

 広場は、よその国ではキャンパス・パルコ・ピアッツァ・プラザ・スクエア・アゴラなどと言うそうです。聞いたことのある言葉ですね。なじみのない言葉もあります。西アフリカのマリではケネバ、韓国ではマダンと言うそうです。  さて、西欧では、古代ローマに遡るように都市には広場が常設され市民が集合して物事を決定するような空間だったと考えられます。もちろん権力者が見せしめの刑を執行し、あるいは新しいお触れを告げるための地域支配の場でもありました。広場はただの原っぱではなく、人が集合したり、させられたりする機能があると言えます。  日本ではどうかというと、広場は空き地という意味では昔から使われていたようですが、市民社会が成熟しなかった日本の都市には広場はなかったとする見方もあるようです。たしかに人々が集会して物事を決めるための常設の場の意味を持つのは明治時代以降のようです。  しかし、欧米の概念のような都市ではなく、古くから村落では儀礼や芸能、盆踊りなどのまつりが執り行われた広場がありました。神社や寺院の境内あるいは道路などの臨時的な場所、そして会所や仏堂などに隣接して広場が設けられていた例は今でも散見できます。現代の公民館前の広場などは、それが都市化されていくなかで生き残った姿なのかもしれません。  ところで、まどかぴあ広場のまどか(円)には、市民の皆さんがまぁるく穏やかな心で人とのつながりを大切にしようという思いが込められています。これからもシビックゾーンを中核にした3つの施設で、キラキラ輝くにぎわいの場を作り出したいと思います。

 館長の部屋(12月写真イルミ)

 

 「縄文王国やまなし」の広場

 村落の広場が遺跡で確認できるのは、本格的な定住生活を始めた縄文時代からです。縄文時代は主に狩猟・採集・漁労活動によって生活を支え、その時代は1万年以上も続きました。もちろんそれぞれの時代や地域によって、集落のあり方は異なっています。  縄文時代中期には、山梨県をはじめとする中部高地一帯では大集落が数多く営まれていました。住居群は親族ごとにまとまりをみせ、全体としては中央の広場を囲むように環状の集落が形成されているのが一般的でした。広場ではマツリや共同作業などが行われていたようで、おそらく円滑な共同生活を営むのに広場は欠かせない場だったと思われます。  また、中部高地では装飾豊かな縄文土器が大量に作られていました。自然と共生した縄文人の神話的な世界観を感じることができます。年末まで特別展「縄文王国やまなし」を開催中です。展覧会場入り口でLEDライトを受け取ってください。会場は少し照明を落としています。ご自身で縄文土器や土偶にライトの光を照らしてご鑑賞ください。さらには現代美術の作品とのコラボレーションも見どころです。  年の瀬に、大野城ウィンターイルミネーションとともに、中部高地の縄文人の精神世界に皆さん自身の感覚で光をあててみてはいかがでしょうか。

館長の部屋(12月画像)特別展

2019年 7月5日 更新分

 7月に入りました。

 今年九州北部の梅雨入りは過去最も遅いようです。大雨による災害のないことを祈るばかりです。  さて、当館は昨年7月21日の開館より1年が経ち、まもなく記念すべき10万人目のお客様をお迎えできる運びとなりました。
 当館の使命は市民にふるさと意識を醸成し、ふるさと大野城を次の世代につなぐために、郷土への理解を深め、さらには地域の歴史や文化を活用して市民交流やにぎわいを創出し、地域活性化に寄与することです。この使命を達成するために、地域内外の歴史遺産・民俗等を展示し鑑賞の場を提供するだけでなく、館全体を学びの場として市民参加をうながしてふるさと意識を育む事業や市内の団体等との交流事業等を展開してきました。  
 特別展を年3回実施し、さらには各種の講演や講座あるいは体験型イベント等、一年間に自主事業だけでも200回以上のイベントを実施しました。多くの方に喜んでいただいた一方、準備不足で皆さんの不満がつのったものも数多くあったことと思います。まだまだ試行錯誤が続いています。自己評価や外部評価を受けて、成果と課題を明らかにして経営の改善に努める所存です。
 なにより皆さんから寄せられる利用者アンケートの評価とご意見は、私たちへの通信簿です。ご意見は館員で共有して、改善できることはすぐに取り掛かっています。時に厳しいご指摘もありますが、時にお褒めの言葉も頂きます。「トイレがいつもきれいだ」と頂きました。清掃スタッフは、日本一トイレのきれいな博物館となることを心掛けて清掃しています。また、「ボランティアさんや案内の方の対応が親切だ」ともありました。ぜひスタッフには気軽にお声をかけてください。また、アンケートへのご意見の記入もお待ちしています。
 最後になりますが、この一年間、館の運営を支えて下さった市民ボランティア(ふるサポの会)と心のふるさと館ファンクラブ「ここふる友の会」の皆さまにはこの場を借りて深く感謝申し上げます。
 市民の皆さまには館員スタッフを代表して、これまでのご支援に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。今後も市民ミュージアムとして興味深くおもしろい事業を企画して参ります。
 なお、7月20日(土曜日)より7月28日(日曜日)までの期間、開館1周年のさまざまな記念イベントを実施いたします。特別展『TOYs EXPO』も同日開幕いたします。ご来館をお待ち申し上げます。

2019年 6月4日 更新分

 6月に入りました。

 新しい「令和」の時代も一月が過ぎました。昭和も平成も過ぎ去った過去になり、これからの令和時代は未来です。もちろん昭和も平成も私たちにとっては、その時点では未来でした。未来は予想がつきません。未来に向かって進むのは列車に後ろ向きで座っているようなもので、車窓の景色は過去の事です。列車は未来に向かって進みますが、見えるのは過去の景色です。つまり未来に何が起こるのかは私たちにはわかりません。
 そのため、日々の暮らしの中で不幸や不運な目に合うと、もしも、あの時あれをしなければ、とか、あれをやっておけばと過去の景色を見て、後悔することしきりです。仮想現実の世界を選択することで未来が変わる、歴史小説やアニメ映画はあります。現実には覆水を盆に還すことはできませんが、しかし、どうしても時間を戻したくなる場合があります。大災害が発生した時がそうではないでしょうか。その場に居なければ状況は変わっていたのにという唇をかむような思いは強く残ります。
 28年前の1991年6月3日に発生した雲仙・普賢岳の噴火もそうでした。火砕流という言葉を初めて私たちは知りました。火砕流に飲み込まれた犠牲者の中には、取材していた報道関係者と火山学者、そして警戒にあたっていた地元の防災関係者が数多くいらっしゃいました。その後の検証では、もしも火砕流の怖さを知識として共有していれば、記者たちは現場に立ち入ることはなく、命も守られたと考えられています。自分だけは大丈夫と考える意識が被害を拡大させたともいわれています。
 災害の被災者に報いるためにも、過去の出来事を振り返って教訓とすることは大切です。きちんとした知識と危機意識をもっていれば、防ぎえた災害被害もあったのかもしれません。起こったことを起こらなかったことにはできませんが、「もしもあの時」を想定することが、未来の災害被害を軽減し、防ぐことにつながるのではないでしょうか。未来予測はできませんが、起こりうることを想定することは可能です。
 災害が頻発する現在の時代、防災は市役所の防災担当の仕事だけではなく、大野城心のふるさと館も、災害の歴史を振り返って、「もしもあの時」を未来に伝えていくことも大きな仕事だと感じています。

 

2019年 5月7日 更新分

 5月になりました。

 新しく令和の時代を迎えました。天皇陛下の即位を祝う記帳所が当館の1階に設けられました。市民の皆さんが祝意を表し、新しい時代をことほぐ、すがすがしい雰囲気がロビーに漂っていました。
 一連の即位の礼では、10月22日の即位礼正殿の儀の儀式も待たれますが、古代の歴史を学ぶものにとって、一連の即位の礼の後に行われる大嘗祭(だいじょうさい)は、故実にふれることのできる機会です。
 大嘗祭とは、即位後に初めて執り行われる一度きりの新嘗祭(にいなめさい)で、格別なものなのです。古来より毎年11月に天皇が新穀を神に捧げて五穀豊穣を祈る祭りが新嘗祭です。現在では国民の祝日である勤労感謝の日となっています。なぜ11月に新嘗祭・大嘗祭が執り行われたかといいますと、昔は旧暦を用いていた名残です。つまり、旧暦11月卯の日は、現在の暦では12月終わりごろです。ちょうど冬至の前後にあたります。冬至は日が一番短くなり、翌日から日はまた長くなっていきます。大嘗祭も太陽が再生するように「日の御子の再生」を象徴する儀礼だと民俗学者は考えています。
 さて、大嘗祭の儀礼が史料で確実なのは、天武天皇(673年即位)の時です。その後は、国家的祭祀として式の内容も徐々に変化していきました。私たちが知りえる大嘗祭の姿は、平安貴族の史料や公開された平成の映像などほんの一部分にすぎません。それでも大嘗祭に供える稲をつくる斎田の占いや、儀礼のための掘立柱建物にいたるまで、歴史そのものが千年のときを超えて伝承されていることには驚くばかりです。もちろん、民俗事例にも同じようなマツリが残されていますし、各地で盛んな秋の農業祭りも本来は神様への収穫祭の名残でしょう。
 弥生時代に水稲耕作が日本列島で定着していく中で、人々は天と地あらゆる神様に雨や太陽の恵みを感謝したマツリを必ず行っていました。そのころの原初的なマツリの姿は形を変えてしまっていると思われます。それでも千年以上前のマツリを考えるヒントが、古来の定めを守る新嘗祭・大嘗祭の儀礼にあるのではないかと思われるのです。
 今日のような米余りの時代には想像もできませんが、昔は大量に稲は作れませんし、凶作の時には多くの人が飢えに苦しんだことでしょう。原初のマツリに思いをめぐらすことは、どんなに新しい価値観に触れ、進化したとしても、自然との共生と尊崇いう人間の美徳に立ち返らせてくれるような気がします。

 

 2019年 4月9日 更新分

 新年度を迎えました

 桜が満開の中で新年度を迎えました。ピカピカの新入生や新入社員を街で見かけた方も多いと思います。一目でわかるのが不思議です。きっとフレッシュさが梅の香りのように漂っているからでしょうか。
 当館も開館して初めて新年度を迎えました。新しい顔ぶれを交えて今年度の事業を開始したところです。どうぞよろしくお願い致します。
 さて、来月からは梅花の宴にちなんだ「令和」の年号が始まろうとしています。当館では平成最後の平成展を開催中です。展示の目玉は「平成」の年号選定の時に委員として関わりのあった目加田誠先生の「年号案」について出典を記載したメモでしょう。政府の最終案に残った「修文」も含まれています。
 この貴重な生の歴史資料というべき手書きメモは、目加田先生ご夫妻の蔵書をご遺族より寄贈された折、その整理作業中に偶然発見されたのです。メモを捨てずに遺された目加田誠先生、蔵書の寄贈申し出をなさったご遺族、活用を決断した井本市長、整理作業に携わった教え子の方々や大野城市教育委員会の職員、そして当館での寄贈展示の実現などなど、関係した人々の「和」が、今回の観覧の場を設けることにつながったと思います。もしもバトンの受け渡しがうまくいかなかったら、メモは日の目を見ないままに埋れたままだったかもしれません。
 ところで、日本最初の元号は645年に孝徳天皇の即位にともなって定められた「大化」です。1344年後の平成の年まで247の元号が用いられてきました。明治時代以前は天皇一代の間に何度でも元号を変えていました。その多くの理由は未曽有の災害や天変地異などが起こったからです。改元は国の発展と人々の平安を願って行われていたのです。災害に苦しんできた人々の歴史と年号は実は深いつながりがあったと言えるかもしれません。平成の終わりに被災された皆さんにとって新しい時代が、希望の時代となる事を願ってやみません。
 最後に展覧会では年号の決め方などを解説したパネルも用意しています。これを機会に年号について考えてみませんか。

館長の部屋_1904 

  

2019年 3月6日 更新分

 春は桃の節句

 3月3日は桃の花を活けてひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う行事です。その頃は桃の花が咲いていますので、桃の節句と呼ばれています。しかし、時期はあくまでも旧暦です。現在のカレンダーだと4月初旬ごろにあたるのです。そのため、桃の節句といっても、桃の花は咲いていません。我が家のモモの木は、つぼみが開き始めですが、花モモは固いつぼみのままです。薄紅色の開花をもう少し待たなければなりません。
 さて、モモの花だけでなくウメの花がぽつりと咲き始めると、春が近いことを実感される方も多いと思います。そして、天満宮のような梅の名所でなくとも、ご近所にも意外とウメの花木があることに気づいたりしませんか。また、ウメ以外にも今の時期はツバキやコブシなどさまざまな花木が花を咲かせています。これまで枯れたような木々の姿だったり、葉っぱだけの緑の姿だったので、まるで自分の名前を取り戻そうと躍起になって花を咲かせます。
 ところで、花モモの木を我が家に植えたのは、NHKテレビで「秩父山中 花のあとさき~ムツばあさんのいない春~」を視たからです。過疎化が進む山里の村で、先祖代々の畑を耕せないのはしのびないからと、長年にわたって花を植えて山に還そうとし続けたご夫婦のドキュメンタリーです。寡黙な夫と顔を皺くちゃにして愛嬌の絶えないムツばあさんは体が動かなくなるまで、花やモミジ、そして花モモを植え続けたのです。「旅の人がきれいだと立ち止まってくれたら」との言葉を残して穏やかな晩年を閉じます。訪れたことはありませんが、春になると薄紅色に染まる山深い村の姿を想像し懐かしさが込み上げます。私にとって心のふるさと八景の一つです。

 現在、無料企画展『私のふるさと展』を開催中です。(4月7日まで)皆さんから頂いた「私のふるさと 写真とメッセージ」を展示しています。
 それから1階「昭和のくらし」コーナーで、畳の居間にひな人形を飾っています。残念ながら博物館施設では生け花など植物は持ち込めないので、ひな壇に桃の花を飾ることはできませんでした。
 さあ春です。自然界は新しい命の季節。わたしたちも負けずにファイト!!! 

3月_館長の部屋_ひな人形 写真は心のふるさと館1「昭和のくらし」コーナーに展示されたひな人形です。

  • 文中の番組は「ハイビジョン特集 秩父山中 花のあとさき」検索すると、NHKアーカイブスの動画の一部をご覧になれます。

 

2019年 1月8日 更新分

 新年あけましておめでとうございます。
 当館は開館後初めてのお正月を迎えることができました。昨年は、多くの皆さまに来館いただき、誠にありがとうございます。
 さて、現在とちがって旧暦の正月は、ひと月遅い1月終わりから2月前半頃にあたっていました(今年の旧正月は2月5日です)。その頃には白梅の花が咲き、一輪ずつ咲くたびに春は本格化してゆきます。その芳香漂う花びらに頬を寄せて、古来より人々は梅を愛でながら新年を迎えてきたのです。正月は文字通り新春を迎える時候だったといえます。
 この梅は日本古来の植物と思われがちですが、実は奈良時代になって唐から持ち込まれたものなのです。いわゆる帰化植物です。日本は唐の制度や文化に倣いながら先進的な知識や学術、あるいは世界的な文物を積極的に輸入することで新しい国家を築こうとしました。そういう意味では薫り高い唐文化への傾倒を梅が象徴しているのかもしれません。
 当時の人々の感性を今に伝える『万葉集』にも中国文芸の強い影響を認めることができます。人気の点では双璧をなす桜は日本の古来種です。万葉集では桜が約40首、これに対して梅は約140首も詠まれているのです。しかし、興味深いのは、この後に編まれた平安時代初期の『古今和歌集』では桜が約100首で、梅はわずか20首と、逆転しています。平安時代に鎖国のような政策がとられ、国風文化が華やぐのに合わせて花の好みも変化したようですね。
 もちろん観梅の習慣はそのまま廃れたわけではありません。中世にも梅は愛でられたのですが、その方法は少し異なっています。宋の詩人として著名な林和靖(りんわせい)は山林に住んで梅を妻にしたといわれるほど梅を愛した隠遁者ですが、「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」(清らかな水辺に、まばらな梅花の枝の影が斜めに横たえて映り、月がのぼる黄昏に、かすかな梅の香が漂う)という梅の描写を呼んだ有名な詩があります。そのため「暗香疎影」(あんこうそえい)といえば梅の花を指す言葉になっているのです。日本でも中世になると夜の暗闇の中で梅を楽しんだようで、新しい梅の観賞方法が芽生えています。このように中国文化と日本人の関わり方が変化していく有様を、梅が写し出していると言えるかもしれませんね。
 みなさんはどのように梅を鑑賞なさっていますか。市内にもたくさん梅の名所があるのではないでしょうか。現在、3月の企画展で展示する「わたしのふるさと写真」や「故郷への思いを綴ったメッセージ」を募集しています。梅花にまつわる写真やメッセージをぜひお寄せください。
 また、今年の旧正月の頃には、当館では「むかしのくらし展」を実施しています。炭火カイロ・火鉢・湯たんぽなどの暖房具も紹介します。今よりもっと冬は寒かったと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。昔を思い出して、凍えた手にはーっと息を吹きかけながら鑑賞なさってはいかがでしょうか。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年 7月25日 更新分

 このたび、新しく市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」を開館いたしました。
 大野城心のふるさと館は、歴史・民俗を中核とした展示機能を備えた施設ですが、地域振興や観光振興での多面的な活用が期待されて設置の運びとなりました。
 とりわけ、子どもたちが地域の歴史や文化に直に触れることで、ふるさと意識を心に育む場となることを願い、館の名称が付けられました。
 ところで、本館の近くにある小学校には、樹齢200年余りのセンダンの大樹が、校庭の真ん中に大きく枝を広げて立っています。休み時間に正門前を通ると、その樹の下で遊ぶ子どもたちの歓声が聞こえてきます。
 当館もこの地にしっかりとした根を張り、市民の皆さまに豊かな実りを提供できるような樹木に育つことを願っています。樹木の幹や枝にあたるのは、地域の文化遺産の魅力を見出す調査・研究です。その最新の成果を踏まえた展示という花を咲かせて、多くの方に楽しんでいただきたいと考えています。
 新顔の博物館による初めの一歩です。まだおぼつかないところもありますが、暖かく見守っていただくことをお願いいたします。