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大野城心のふるさと館 Onojo Cocoro-no-furusato-kan City Museum

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館長の部屋 ~過去記事~

更新日:2019年06月06日

館長の部屋_バナー

 

2019年 5月7日 更新分

 5月になりました。
 新しく令和の時代を迎えました。天皇陛下の即位を祝う記帳所が当館の1階に設けられました。市民の皆さんが祝意を表し、新しい時代をことほぐ、すがすがしい雰囲気がロビーに漂っていました。
 一連の即位の礼では、10月22日の即位礼正殿の儀の儀式も待たれますが、古代の歴史を学ぶものにとって、一連の即位の礼の後に行われる大嘗祭(だいじょうさい)は、故実にふれることのできる機会です。
 大嘗祭とは、即位後に初めて執り行われる一度きりの新嘗祭(にいなめさい)で、格別なものなのです。古来より毎年11月に天皇が新穀を神に捧げて五穀豊穣を祈る祭りが新嘗祭です。現在では国民の祝日である勤労感謝の日となっています。なぜ11月に新嘗祭・大嘗祭が執り行われたかといいますと、昔は旧暦を用いていた名残です。つまり、旧暦11月卯の日は、現在の暦では12月終わりごろです。ちょうど冬至の前後にあたります。冬至は日が一番短くなり、翌日から日はまた長くなっていきます。大嘗祭も太陽が再生するように「日の御子の再生」を象徴する儀礼だと民俗学者は考えています。
 さて、大嘗祭の儀礼が史料で確実なのは、天武天皇(673年即位)の時です。その後は、国家的祭祀として式の内容も徐々に変化していきました。私たちが知りえる大嘗祭の姿は、平安貴族の史料や公開された平成の映像などほんの一部分にすぎません。それでも大嘗祭に供える稲をつくる斎田の占いや、儀礼のための掘立柱建物にいたるまで、歴史そのものが千年のときを超えて伝承されていることには驚くばかりです。もちろん、民俗事例にも同じようなマツリが残されていますし、各地で盛んな秋の農業祭りも本来は神様への収穫祭の名残でしょう。
 弥生時代に水稲耕作が日本列島で定着していく中で、人々は天と地あらゆる神様に雨や太陽の恵みを感謝したマツリを必ず行っていました。そのころの原初的なマツリの姿は形を変えてしまっていると思われます。それでも千年以上前のマツリを考えるヒントが、古来の定めを守る新嘗祭・大嘗祭の儀礼にあるのではないかと思われるのです。
 今日のような米余りの時代には想像もできませんが、昔は大量に稲は作れませんし、凶作の時には多くの人が飢えに苦しんだことでしょう。原初のマツリに思いをめぐらすことは、どんなに新しい価値観に触れ、進化したとしても、自然との共生と尊崇いう人間の美徳に立ち返らせてくれるような気がします。

令和元年5月7日

 

 2019年 4月9日 更新分

 新年度を迎えました

 桜が満開の中で新年度を迎えました。ピカピカの新入生や新入社員を街で見かけた方も多いと思います。一目でわかるのが不思議です。きっとフレッシュさが梅の香りのように漂っているからでしょうか。
 当館も開館して初めて新年度を迎えました。新しい顔ぶれを交えて今年度の事業を開始したところです。どうぞよろしくお願い致します。
 さて、来月からは梅花の宴にちなんだ「令和」の年号が始まろうとしています。当館では平成最後の平成展を開催中です。展示の目玉は「平成」の年号選定の時に委員として関わりのあった目加田誠先生の「年号案」について出典を記載したメモでしょう。政府の最終案に残った「修文」も含まれています。
 この貴重な生の歴史資料というべき手書きメモは、目加田先生ご夫妻の蔵書をご遺族より寄贈された折、その整理作業中に偶然発見されたのです。メモを捨てずに遺された目加田誠先生、蔵書の寄贈申し出をなさったご遺族、活用を決断した井本市長、整理作業に携わった教え子の方々や大野城市教育委員会の職員、そして当館での寄贈展示の実現などなど、関係した人々の「和」が、今回の観覧の場を設けることにつながったと思います。もしもバトンの受け渡しがうまくいかなかったら、メモは日の目を見ないままに埋れたままだったかもしれません。
 ところで、日本最初の元号は645年に孝徳天皇の即位にともなって定められた「大化」です。1344年後の平成の年まで247の元号が用いられてきました。明治時代以前は天皇一代の間に何度でも元号を変えていました。その多くの理由は未曽有の災害や天変地異などが起こったからです。改元は国の発展と人々の平安を願って行われていたのです。災害に苦しんできた人々の歴史と年号は実は深いつながりがあったと言えるかもしれません。平成の終わりに被災された皆さんにとって新しい時代が、希望の時代となる事を願ってやみません。
 最後に展覧会では年号の決め方などを解説したパネルも用意しています。これを機会に年号について考えてみませんか。

館長の部屋_1904 

  

2019年 3月6日 更新分

 春は桃の節句

 3月3日は桃の花を活けてひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う行事です。その頃は桃の花が咲いていますので、桃の節句と呼ばれています。しかし、時期はあくまでも旧暦です。現在のカレンダーだと4月初旬ごろにあたるのです。そのため、桃の節句といっても、桃の花は咲いていません。我が家のモモの木は、つぼみが開き始めですが、花モモは固いつぼみのままです。薄紅色の開花をもう少し待たなければなりません。
 さて、モモの花だけでなくウメの花がぽつりと咲き始めると、春が近いことを実感される方も多いと思います。そして、天満宮のような梅の名所でなくとも、ご近所にも意外とウメの花木があることに気づいたりしませんか。また、ウメ以外にも今の時期はツバキやコブシなどさまざまな花木が花を咲かせています。これまで枯れたような木々の姿だったり、葉っぱだけの緑の姿だったので、まるで自分の名前を取り戻そうと躍起になって花を咲かせます。
 ところで、花モモの木を我が家に植えたのは、NHKテレビで「秩父山中 花のあとさき~ムツばあさんのいない春~」を視たからです。過疎化が進む山里の村で、先祖代々の畑を耕せないのはしのびないからと、長年にわたって花を植えて山に還そうとし続けたご夫婦のドキュメンタリーです。寡黙な夫と顔を皺くちゃにして愛嬌の絶えないムツばあさんは体が動かなくなるまで、花やモミジ、そして花モモを植え続けたのです。「旅の人がきれいだと立ち止まってくれたら」との言葉を残して穏やかな晩年を閉じます。訪れたことはありませんが、春になると薄紅色に染まる山深い村の姿を想像し懐かしさが込み上げます。私にとって心のふるさと八景の一つです。

 現在、無料企画展『私のふるさと展』を開催中です。(4月7日まで)皆さんから頂いた「私のふるさと 写真とメッセージ」を展示しています。
 それから1階「昭和のくらし」コーナーで、畳の居間にひな人形を飾っています。残念ながら博物館施設では生け花など植物は持ち込めないので、ひな壇に桃の花を飾ることはできませんでした。
 さあ春です。自然界は新しい命の季節。わたしたちも負けずにファイト!!! 

3月_館長の部屋_ひな人形 写真は心のふるさと館1「昭和のくらし」コーナーに展示されたひな人形です。

  • 文中の番組は「ハイビジョン特集 秩父山中 花のあとさき」検索すると、NHKアーカイブスの動画の一部をご覧になれます。

 

2019年 1月8日 更新分

 新年あけましておめでとうございます。
 当館は開館後初めてのお正月を迎えることができました。昨年は、多くの皆さまに来館いただき、誠にありがとうございます。
 さて、現在とちがって旧暦の正月は、ひと月遅い1月終わりから2月前半頃にあたっていました(今年の旧正月は2月5日です)。その頃には白梅の花が咲き、一輪ずつ咲くたびに春は本格化してゆきます。その芳香漂う花びらに頬を寄せて、古来より人々は梅を愛でながら新年を迎えてきたのです。正月は文字通り新春を迎える時候だったといえます。
 この梅は日本古来の植物と思われがちですが、実は奈良時代になって唐から持ち込まれたものなのです。いわゆる帰化植物です。日本は唐の制度や文化に倣いながら先進的な知識や学術、あるいは世界的な文物を積極的に輸入することで新しい国家を築こうとしました。そういう意味では薫り高い唐文化への傾倒を梅が象徴しているのかもしれません。
 当時の人々の感性を今に伝える『万葉集』にも中国文芸の強い影響を認めることができます。人気の点では双璧をなす桜は日本の古来種です。万葉集では桜が約40首、これに対して梅は約140首も詠まれているのです。しかし、興味深いのは、この後に編まれた平安時代初期の『古今和歌集』では桜が約100首で、梅はわずか20首と、逆転しています。平安時代に鎖国のような政策がとられ、国風文化が華やぐのに合わせて花の好みも変化したようですね。
 もちろん観梅の習慣はそのまま廃れたわけではありません。中世にも梅は愛でられたのですが、その方法は少し異なっています。宋の詩人として著名な林和靖(りんわせい)は山林に住んで梅を妻にしたといわれるほど梅を愛した隠遁者ですが、「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」(清らかな水辺に、まばらな梅花の枝の影が斜めに横たえて映り、月がのぼる黄昏に、かすかな梅の香が漂う)という梅の描写を呼んだ有名な詩があります。そのため「暗香疎影」(あんこうそえい)といえば梅の花を指す言葉になっているのです。日本でも中世になると夜の暗闇の中で梅を楽しんだようで、新しい梅の観賞方法が芽生えています。このように中国文化と日本人の関わり方が変化していく有様を、梅が写し出していると言えるかもしれませんね。
 みなさんはどのように梅を鑑賞なさっていますか。市内にもたくさん梅の名所があるのではないでしょうか。現在、3月の企画展で展示する「わたしのふるさと写真」や「故郷への思いを綴ったメッセージ」を募集しています。梅花にまつわる写真やメッセージをぜひお寄せください。
 また、今年の旧正月の頃には、当館では「むかしのくらし展」を実施しています。炭火カイロ・火鉢・湯たんぽなどの暖房具も紹介します。今よりもっと冬は寒かったと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。昔を思い出して、凍えた手にはーっと息を吹きかけながら鑑賞なさってはいかがでしょうか。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年 7月25日 更新分

 このたび、新しく市民ミュージアム「大野城心のふるさと館」を開館いたしました。
 大野城心のふるさと館は、歴史・民俗を中核とした展示機能を備えた施設ですが、地域振興や観光振興での多面的な活用が期待されて設置の運びとなりました。
 とりわけ、子どもたちが地域の歴史や文化に直に触れることで、ふるさと意識を心に育む場となることを願い、館の名称が付けられました。
 ところで、本館の近くにある小学校には、樹齢200年余りのセンダンの大樹が、校庭の真ん中に大きく枝を広げて立っています。休み時間に正門前を通ると、その樹の下で遊ぶ子どもたちの歓声が聞こえてきます。
 当館もこの地にしっかりとした根を張り、市民の皆さまに豊かな実りを提供できるような樹木に育つことを願っています。樹木の幹や枝にあたるのは、地域の文化遺産の魅力を見出す調査・研究です。その最新の成果を踏まえた展示という花を咲かせて、多くの方に楽しんでいただきたいと考えています。
 新顔の博物館による初めの一歩です。まだおぼつかないところもありますが、暖かく見守っていただくことをお願いいたします。